本の読み方

※本文に一部作品の微量ネタバレが含まれます。





僕はすぐに泣く。


勿論これは現実的な話ではなく、あくまで本を読んだり、映画を見たり、ゲームをやったり、音楽を聴いたりという時の話だ。
すぐに泣くのは、先日のエントリにも書いた通り、ものすごく感情移入してしまうからである。


僕はどんな物語(ここでは特定のメディアやジャンルを指さない)にも、割とすぐに感情移入してしまい、その物語とリンクして笑い、泣き、怒り、悲しむ。
とは言っても常に特定のキャラの感情移入してるわけでは無い。というかそんな事出来ない。大抵感情移入するキャラはそのシーン等で変わってくるし、そもそもキャラクターじゃない部分や第三視点で感情移入したりする。
三者視点で感情移入するというとどうも世間では、所謂「神視点」として扱われがちだが、僕はこの第三者視点で感情移入というのには二種類あると思っていて、僕はどちらかというともう一つの、「別の人物として物語に居る」という状態だ…と思う。
もしかしたらその「状況」に感情移入している可能性も否めないのだが。そこは正確には分からないとしか言えない。


で、これだけなんにでも感情移入するスタイルだと、実は一般の人が恐れるあれが怖くない。


そう、ネタバレである。


実は、多分僕は、これまでの人生の中でネタバレによって大きなダメージを受けた事が無い。
いや勿論現実的に「知らない状態」と「知ってる状態」の両方で初めての物語に触れるのは不可能なのだが、しかし過去のネタバレされた作品や、再読/リプレイ作品での感動を考えてみての結果だ。


僕は例えばEver17なら全体で三周、最後のシナリオなら10周はした。
例えばひぐらしなら、祭り囃し編は10周くらいプレイした。
例えばとらドラ!は、最終巻を読む前にネットサーフィンをしててネタバレされてしまった。
例えばSAOなら、全体を通して10周近く読んでると思うし、個人的最高傑作SAO2・フェアリィダンスに限れば100回近く読んでいるだろう。
例えばマイガールなら週に一回くらいは再読している。


しかしながら、僕は何回目だろうと、初回プレイと同じ感動を味わえたし、ネタバレされた作品でも感動して何回も泣けるのだ。
つまり、感情移入している僕にとっては僕はあくまで登場人物、或いはそれに順ずる何者かであり、何回プレイしようとEver17は衝撃の事実が判明するし、ひぐらしならみんなで力を合わせて感動の大団円を迎えられるし、とらドラ!であーみんの発言を聴いて本気で号泣する事が出来るし、SAOのスグは俺の嫁もとい妹、いやそんな事よりも、やっと、ついに、感動のエンディングを迎えられるし、マイガールならこの距離感と切なさに常に枕を濡らしている。
それは常に物語の中の僕にとっては初めての体験であり、新鮮な経験だ。
僕は物語の中でLeMUに閉じ込められているし、力を合わせて戦っているし、あーみんの感情を共有する事が出来るし、本気で頑張って、みんなの力を借りてSAOをクリアする事が出来るし、コハルとの距離感と切なさに涙しているのだ。
それぞれが、何回経験しようと色あせない大切な経験で、薄れる事は無い。


だから僕は多分、他の人に比べて再読/リプレイが非常に多いと思う。この状態を考えれば当たり前なのだが。


だからこそ逆に先日書いた通り、誰にも感情移入出来なかった場合は本当に悲惨だ。全然楽しめなくなる。
僕にとって感情移入出来ない物語というのは本当にただの苦痛である。
とは言ってもそもそも感情移入出来ないという事は、滅多にある事じゃない。今までのほとんどの作品に感情移入する事が出来たし、その上で面白いか面白くなかったかを考えられている。


この物語の楽しみ方がいつからなのかは自分でもちょっと分からないが、別に改めるつもりはない。
確かにそれぞれの作品に対して本気になりすぎて疲れるのではと思う事もあるが、物語を楽しめるという点ではむしろ最高だと思っているし、物語に対してそれなりのリソースを割く事はもうとっくに人生の中で決めている事なので何も問題は無い。
そもそも既にこのスタイルが根付いている。改める事なんて不可能だ。


これからもきっと、僕はどんな物語にも一喜一憂し、本気で笑い、本気で泣いて、本気で悲しみ、本気で怒るんだろう。
それが僕の、「物語の楽しみ方」だ。